私とベルマーレ 2

1998年シーズン終了後、衝撃的なニュースが飛び込んで来ました。
ベルマーレの親会社フジタが撤退」
業績悪化の改善策としてフジタが身を引くこととなったのです。
それまでチームを支えてきたスター選手は次々と去り、完全にもぬけの殻となってしまいました。
翌1999年、若手選手だけでスタートしたチームは敗戦に次ぐ敗戦。
そしてついに、J2降格。
日本中が「LOVEマシーン」で盛り上がる中、チーム、サポーターはどん底に突き落とされました。
このままチームが無くなってしまうのではないか?
毎日が不安でした。
しかし、捨てる神あれば拾う神あり。
河野洋平氏の息子、河野太郎氏が中心となって新しい市民球団湘南ベルマーレ」が誕生したのです。
新しい監督に加藤久、そして前園真聖松原良香らが新加入。
1年でJ1に復帰するという新たな希望をもって、2000年シーズンを迎えました。
最初はスタートダッシュに成功するなど順調かと思われましたが、後半になってブレーキ。
監督と選手との意思の疎通がうまくいかずにシーズンを終えました。
2002年の日韓W杯ではナイジェリアチームが平塚にキャンプを張り、世界の強豪と親善試合をしました。
その時の平塚競技場はJ1時代をほうふつとさせるような賑わいでした。
また前年に加入した元コロンビア代表パラシオスの活躍も目を見張るものでした。。
その翌年、ベルマーレは監督にフィリップ・トルシエの側近だったサミアを迎えましたが、選手とそりが合わずに間もなく退任。
ベルマーレは再び暗黒時代に突入しました。
この間、他のチームがJ1に昇格するシーンを目の当たりにすることもしばしば。
しかし2007年、チームにわずかではありますが光が差し込んできたのです・・・